「Reason why」を話すことで「好き」が生まれる理由
それは「人となりが伝わり、魅力を感じるかどうか選択を委ねられる」からです。
人は、どこに「好き」を感じるのでしょう?
- 顔のつくり?
- 服装や髪型からくる雰囲気?
- 話すスピード?
- 言葉尻り?
- それまでの人生の結果?(収入の額や学歴や借金の額や役職などなど)
- 周りの知人の雰囲気?
- いまの状況?(仕事内容や実家に住んでいるかひとり暮らしか、恋人の有無などなど)
おそらく、ほとんどの人がきっとこの意見に賛成だと思います。
「今あげたものも大事だけれど、最後は“性格が合うかどうか”だよね」
と。
そう、最も大事にされれているものは「人となり」なのです。
それが合うかどうかなのです。
合うかどうか=そこに魅力を感じ合うかどうかです。
もっと言うなら、上にあげつらったリストは「人となり」を推測するツールとして使われることが多く。
誰もが「人となり」を恋人や友達・仲間を選ぶときの最も重要な判断基準として見ているのです。
では、ここで言う
「人となり」とは、何を指しているのでしょう?
- 価値観
- 考え方
からくる
- 心の癖(心の習慣)
です。
この心の癖を別の言葉に変えると「性格」と呼ぶのだと、ここでは定義します。
まあ、あまり小難しく話してもアレなのでw、
- 人となり=価値観、考え方
と、ざっくり捉えておけば、OKです。
人は誰かと深い関係になるとき
- 人となりに魅力を感じるかどうか?
- 人となりの相性がいいかどうか?
をいつも自分に問うているのです。
「じゃあじゃあ、ちえさん。僕(私)の人となりを魅力的に見せればいいわけね?そのために、Reason why話せばいいのね?」
「じゃあじゃあ、ちえさん。僕(私)の人となりと相性がいいと感じて貰えばいいわけね?そのためのReason whyを考えればいいのね?」
と早とちりする人もいるかもしれません。
うーん、、、答えは、ノーです。
「Reason why」は、新たにゼロから作るものではありません
既にあるものであり、それを言葉に変換する。
それだけです。
相手に「好かれるため」にReason whyを作ったり話したりするわけではなく、自分に今備わっている魅力を最大限分かりやすく相手に伝えるために、言葉に変換する
それが、Reason whyを話すということです。
それが、相性がいい者同士が惹かれ合っている最中、会話の中で無意識にやっていることなのでしょう。
「Reason why」を話すことで「好き」が生まれる理由
それは「人となりが伝わり、魅力を感じるかどうか選択を委ねられる」からです。
相手の「人となり」を会話を通して知り、さらに自分のそれも伝え、そして、お互いに魅力を感じれば、関係が進んでいく。
本当にそれだけです。
魅力を感じ“させる”必要はないのです。
むしろ、それはしない方がいいです。
魅力を感じ“させる”という思考になると、本来の自分ではない要素を取り入れがちだからです。
- やれ、共通点が多い方がいいから〇〇と言っておこう
- やれ、女性は(男性は)こう言われた方が喜びそうだから〇〇と言っておこう
これでは、あなたが消えてしまいます。
相性の合わない相手ばかりを引き寄せてしまいます。
これでは、Reason whyを話す意味がないのです。
(意味がないはちょっと言い過ぎかもですがw、でもあえて意識してReason whyを話しているのに、相性合わない人を引き寄せるって、意味がないようにも思います)
「Reason whyは無理に作るのではなく、自分の中に既にあるものを言語化していくものだ」と覚えておいてください。
人となりを会話中に自然に伝えられる最も手軽な方法が、Reason whyを話すことであり、そうやってお互いにとてもナチュラルに、判断をゆだね合っているのです。
ここをテンプレ化したりすると、不自然な会話になるので、やめた方がいいでしょう。
とにもかくにも「Reason whyは無理に作るのではなく、自分の中に既にあるものを言語化していくものだ」←これは大事な考え方なので、頭の中にさくっとメモしておいてくださいね^^。
武士はいちいちReason whyを話していただろうか?
これは私の予想ですが、おそらく武士はいちいち口で理由など話さなかったでしょう。
態度や言動にそれら(人となり)がにじみ出ていたのではと思います。
これは、今のコミュニケーションではありません。
態度や言動に人となりがにじみ出ることは、当然今も頻繁に起こっています。
でも私が思うに、それってね、さり気なさがあってとてもいい反面、そこにすれ違いや勘違いが発生すると、ストレス過多を招きやすいコミュニケーションの取り方だなと感じています。
もう離婚なんて絶対しないであろう死をまじかに控えた夫婦やカップルなら、そんな感じでもいいと思います。
でも「これから恋愛をはじめたいんです」「これから誰かと関係を深めていきたいんです」と思っているなら?
- 人となりを態度や言動で察し合う
だけではなく、それにプラスして
- 人となりの言語化
も出来た方が、何倍いや何十倍、大袈裟でなく何百倍も、性格の相性がぴったりの恋人や同僚、友達や仲間を呼び寄せ、彼ら彼女らその人たちと、気疲れなど無縁の良好な関係。
同じ屋根の下で暮らしても、ストレスを一緒に解消し合っていけるパートナーとなっていけるでしょう。
- Reason whyを話す=頭の中を言葉に変換する
ことです。
そう捉えておいてくださいね。
頭の中を言葉に変換できれば、自分を表現することも、もっとラクに、そして上手になっていくでしょう。
Reason whyを話すよう意識するとは、自分がどんな人間なのかを「言葉」で表現するトーク技術ですからね。
余談「ダサい人と歩きたくない」問題について
ここからは余談なので、お時間に余裕があるなら読んでみてください。
もちろん、人によっては「私は(僕は)、ファッションが大好きだから、同じ趣味趣向の人がいい」と話す人もいるでしょう。
「ダサい人と一緒に歩きたくない」なんて、強い自己主張をする人もいます。
でもね、これはちょっと別の話になってくるんです。
ようするに「服装で着飾ることに無頓着な人と一緒にいると自分の価値が下がる」と思っている人はね、心の根っこに必ずと言っていいほど「不安」が潜んでいます。
潜んでいるというか、根づいています。
太っとい「不安」という名の根っこが脳みそに張りついているのです。
だから、不安からくる他者否定は「防御」であり、それを「恋愛の好み」としてあげつらう時点で、もう相手の課題なんですよね、きっと。
こちら側がどうにかできるものではないし、こちら側がどにかするものでもないと考えています。
これは、もうその本人が「人を外から見た情報だけで判断する」ことに苦しみを覚えたら、やめるでしょうし、苦痛を感じないなら、死ぬまでそのままでしょうから。
人は、防御からくる言動を「好み」などと正当化できちゃうと、なかなか手放すことができません。
なので、もしあなたが服に無頓着で「ダサい人と一緒に歩きたくない」と話す相手に合わせて、興味もない洋服を着ようとしているのなら。
そこに1ミリの楽しさも見いだせないのなら、その人の不安を一緒に解決してあげる必要はありません。
それは、ただただ「あなたも嫌われるのが怖くて、防御しているだけ」合わせているだけであり、価値観のすり合わせでもなんでもないですから。
お互いに何かに怯え、怖がっているだけですから、心からファッションを楽しめることってないでしょうね。
いつも、他者評価が気分の良さに関わってくるんですから。
でも、お互いに、洋服や髪型を着飾ることに楽しさを覚えているのなら、それは「人となりが合う」と判断できるので、長続きするカップルになれると思うのです。
相手のことを大好き過ぎて「一緒にその相手の不安を解消してあげたい」なんて思えるのなら、極端に合わせることも全然ありなんですよ。
そうやって「優しさの連打」で、モテてる人もこの世には大勢います。
嫌われるのが怖くて無理やりやってるか、本当に「その相手の不安を解消してあげたい」と思って、やってるかどうかですね。
ようするに、結局どれだけ相手の「中身(人となり)」に惹かれ合っているかが、やはり最も重要なのです。