かまってちゃんのトリセツ
最初に。私は、カテゴライズ思考を手放すことを推奨しています。そもそも人は、バイアスに抗えない生き物です。現代人は、バイアス思考の塊のようになっていると感じています。人を分類すること、カテゴライズすることは、バイアス思考に拍車をかけるため、本当のその人の魅力が見えなくなる。
*バイアス思考=偏った見方、そのように括りをもうけてしまう脳の癖(無意識に)
さらに、目立つ部分ばかりに目が行くため、他人の短所に我慢できなくなることも。ようするに、他人の弱みや失敗を受け入れられない、ゆるせない、おおめに見られない思考になりがちなんですね。
これイコール、自分が他人に弱みを見せられない。そんなこころの癖と直結しています。他人の失敗や弱みをおおめに見られない人は、自分が弱みを出したら、断絶される、嫌われる、おおめに見て貰えないという必要以上の防御姿勢に繋がり、人つき合いがしんどくなる。
他人に興味を持てない、自分に興味を持ってもらえないことに、必要以上にいじける。上下意識、選民思考にも繋がり、どんどん人を区別するようになる。「何者かになりたい」思考がとれず、たとえ何者かになれたとしても、それに満足できない。満足したとしても一瞬。カテゴライズ思考って、本当に良いことないなと思うわけです。
でも、人はね、私も含め、端的でシンプルなものを好みます。複雑な話は、脳みそが疲れてしまうからです。だから「伝え方が9割」とか「●●だけしてれば上手くいく」とか、この手のキャッチコピーがヒットしやすいわけですがw。まあ、それはそれでよしとして。
何が言いたいかというと「カテゴライズ思考を手放した方が、恋愛や人間関係はうまくいくし、何より楽ちんに生きられる」と筆者は確信を持っている。これをベースに、今回の話を読んでみてくださいね。
かまってちゃんってどんな人?
私が思う「かまってちゃん」の定義は、こうです。
自己承認が低い状態の人
ちょっとしたことに過剰に反応し、周りを巻き込んじゃう。もしくは、周りを巻き込まずとも、いやな空気を残して去る人というのでしょうか。
これをしているときの本人の自覚がないことが多いです。なぜなら、当の本人にとって、目の前の出来事は、大事件だからです。だから、必要以上に感情があらわになるし、攻撃的になるし、不機嫌になるし、もうね、大変なわけです。
たとえば、赤ちゃん。
赤ちゃんは、お腹が空いたら泣くわけです。泣くことで、意思表示しているわけです。その意思をくみ取り、周りの大人が「大丈夫?お腹空いたの?」と代わりに問題を解決してくれます。
でも、大人が同じことをしたら、どうなるでしょう?驚くなかれ、大人になっても、泣くことでしか、意思表示ができない人だって、相当数いるのです。泣けば、誰かが問題を解決してくれると、無意識に思っていることだってあります。
ただ、その方法は、泣くという行為ではなく、たとえば、不機嫌になる。たとえば、必要以上に無口になる。たとえば、自分がかまってほしいときだけLINEする。たとえば、、、人によりさまざまです。
なんだろう、自分で自分の価値をマックスだと思えないから、必要以上にこちらを下に見てきたり、必要以上に崇めてきたり。敵意を剥き出しにしてきたり、いきなり音信不通になり、なしのつぶてになってしまったり。「おそらく合わないだろう」とお互いに分かっているのに、無理やりそこをすり合わせようとしてきたり。
ずっと何かについて不満に思っているのに、それを相手に言わず、態度だけはずっと不機嫌なまま、違和感だけを与えたり、必要以上に相手がこびてくると思うこともあるでしょう。
なんでしょうね。私も、今もまだ、おそらくこれからも一生、メンタルが萎える時間もあれば、調子の良い時間もあるでしょうから、かまってちゃんになってしまうことだってあるでしょう。だから、かまってちゃんがダメな状態だなんて1ミリも思わないですが。
ただね、そこに自覚があるかないかは、その後の人間関係に大きな差が生まれてきます。「今自分、かまってちゃん・かまって君になっているな」と気づけるかどうかという話です。
話を戻しましょう。私のかまってちゃんの定義は、こうです。
自己承認が低い状態にいる人
=セフルケアするという概念がない、その方法を知らない
=すべてのことを一人でなんとかできると思っている、それをしようとしている
=他人に素直に頼れない
こんな感じかなと、最近は認識しています。自立という概念をこう表現した人がいます。
自立とは「依存先を増やすこと」
これは、熊谷晋一郎医師(現・東京大学先端科学技術研究センター准教授)の言葉です。
私は、この言葉にとても共感しています。まさに、それほどの信頼関係を築き、生きていくサポートシステムとして、お互いに作り合っていくこと。その最たる関係が、パートナーシップ(夫婦やカップル)であるわけです。
このサポートシステムが少ない状態、他人を信用できない状態にいると「一人でなんとかしなきゃいけない」と思い込んでいる節がある人。それが、かまってちゃん・かまって君の特徴だなと思うわけです。
自分と反する価値観の持ち主には、すぐにシャッターを閉めてしまうため、なかなかサポートシステムが広がりません。その結果、他人に素直に頼れなくなり、どんどん孤立していく。孤立すればするほど「自分を本当の意味で理解してくれる人など、この世には存在しないだろう」「他人は、いつか離れていく」と思い込んでしまうのです。
そして、人の辛辣な言葉に、必要以上にダメージを受けてしまう。これはね、ちょっと前の私がそうだったので、凄くわかります。今は笑い話ですが、当時は全然笑えませんでした。まるで、昔の自分に言い聞かせているような、今回は、そんな話になりそうです(笑)。
ほんの数年前、あるショックな出来事が起こりました。友人だと思っていた人が、いきなり、私の呼び名を変えたのです。出会ってからの大半、下の名前で呼ばれていたのに、いきなり苗字に変わった瞬間があったんですね。そのとき、酷くショックを受けました。
なんだろう。相手からすると距離を取りたかったのか、もしくは、そこまで深く考えていなかったのかもしれない。今となっては、その真意は不明だし、相手ももうこのことについて、覚えていないほど些細なことだったように思います。
でも私は、酷くショックを受けたのです。必要以上に、心の中で相手をけなしました。確か、Podcastでも話したんじゃないかと思います。「普通、そんなに急に、手のひら返したように、態度を変える?失礼じゃない?人としてどうなの?」と。
これはね、今思うと、かまってちゃんに足を突っ込んでいたように思います。おそらく、多くの人は、この現象にショックは受けど、他人に言いふらすほどの行為には繋がらないでしょう。(まあ、私の場合、赤裸々な心情の発信が、リスナーに喜ばれるため、あえて出していたというのもあるのですが、それでもって話ですね)
あのとき、とてもショックで、チャットワークから、その人の名を消し、確かFacebookもブロックしたんじゃないかと思います。いや、ブロックじゃなくて、友達一覧から削除したような記憶があります。それくらい、ショックだったわけです。
でもね、今思うと、これって必要以上の反応であり、なぜ、そんなに大袈裟に反応してしまったかというと、自分に自信がなかったからです。「お前とは、付き合う価値がない」と言われたような気がしたのです。当時、鬱からの病み上がりで、お世辞にも仕事や経済面が、すこぶる順調とは言えない状態でした。
そんなとき、以前から付き合いのあったビジネスにまつわる仲間の態度が急変した・・・ように見えた。自分と距離をとられた。「見下された!」「繋がる価値なしと思われた!」「私とあなたは、違う世界なのよ」と言われたような気がした。こう思ったんでしょうねw。本当のところは、誰も分からないのに。
たとえば、仮に本当に見下されていたとしても、自分の価値は何ら変わらないわけです。むしろ、人との付き合い方を経済力だけで判断する人なら、縁が切れた方が良いことだってあるわけです。でも、当日の私は、自己承認がとても低かったから、どうしても自力でスッキリできなかった。気持ちを切り替えられなかった。モヤモヤが残ってしまっていた。
だから、Podcastで話したり、その他の人に聞いて貰う、こういう行為でスッキリしようとしたわけです。他人を巻き込んで、自己承認を上げようと必死だったわけです。
人は、お互いに頼り合うからこそ「その中」で自立できる
このサポートシステムが極端に少ないと?もしくは、作ろうという意思がないと?「頼りたいけど、頼れる人がいない」「とことん甘えさせてくれる人がいない(親がいるけど、親には話したくない話題)」となり、
まだまだ関係を構築中の相手に、思いの外、出し過ぎてしまう。それがきっかけで、相手が離れていくこともあれば、相手の反応が期待外れで、自分が離れていくこともあるでしょう。(このタイミングでぐっと親しくなるケースもありますが、その反応は本当に人によります)
私は、かまってちゃん状態にいる人は、本当にね、人との距離の保ち方が分からない・自我の守り方が分からない・セフルケアの仕方や概念がない状態にいるため、予期せず、相手を困らせてしまう、相手を不機嫌にしてしまう。
そんな自分にほとほと嫌気がさすという負のループにいる人が多いんじゃないかと思うわけです。この負のループは、学歴や経済力をいくらアップさせても、整形して、いくら顔の形を整えても、いくら筋肉をつけても、いくら豊胸しても、脱け出せないんじゃないかと感じています。
なぜなら、かまってちゃん現象は、人だったら誰でも起こるからです。ようするに、失敗して落ち込んだとき、寂しくて仕方ないとき、誰かに話を聞いてほしいとき、応援して欲しいとき、絶対的な味方が欲しいとき、いろいろ時期があるわけじゃないですか。生きていると。
そういう時に自分を助けてくれる人が、他人なわけです。自力で対処できることもあるけれど、そうじゃないことだって沢山ある。だから、人は繋がりを求めるわけです。本能的に。
このサポートシステムの構築が極端に少ないと、どうしても、自分のわちゃわちゃした部分をさらけ出す関係が出来ていないところで、おかしなことを言ったり、おかしな行動をとったり、もしくは、受動攻撃したり、その場を立ち去ったりしてしまうんだろうなと思います。
自立とは「依存先を増やすこと」
この言葉、20代の頃の自分に聞かせてあげたいですよ。「ちゃんと友達を大事にせいよ」とw。「ちゃんと恋人を大事にせいよ」とw。「そうすれば、もっと楽に生きられるし、もっと世界が広がるんやで。引きこもらずに済むんやで〜」と(笑)。
まあ、引きこもり経験も、鬱経験も、私の大事な財産なので、そこはまったく後悔や引け目はないんですけどね。ただ、今回話した概念を知っていれば、あんなに一人で苦しむ必要はなかったし、周りの人に嫌な思いをさせることもなかっただろうし、当時の私の周りの人も、こちらに嫌なことをしてこなかったんじゃないか。今となっては、そう思えてなりません。
かまってちゃんのトリセツ
これを踏まえて、かまってちゃんのトリセツを作るなら?昔の私が、今の私の側にいるなら、今の私はどうするか?
- サポートシステムになり合う(頼り頼られる関係を目指す)。その過程で、依存され過ぎて、こちらが辛くなるようなら「境界」を示す
- ここでいう境界とは、相手が自力で解決すべき課題と自分の課題のボーダーラインのことです
- まずは、これを意識します。そして、さらに、以下2つのことも意識するでしょう。
- 楽しい時間を、より沢山一緒に過ごす
- なにがあっても、縁を切らない
こんな感じですかね。かまってちゃんの状態にいる人と過ごすときは、サポートするよりも「人と人って、こうやって繋がるんだよ」っていうことを共有するって感覚が強いように思います。私自身も、一生探求していくことだけど「今のところこういう答えに落ち着てるよ」と。あなたとも、いい関係を築きたいと。
自分も、かまってちゃんになることがあるからこそ、相手を下と見ず、カテゴライズせず、サポートシステムになり合おうよ。そんな関係を目指したいと思いますね。自分のサポートシステムが、多いに越したことはないですからね。
かまってちゃんのトリセツというと、頭に浮かんだワードは「奪われる」でした。確かに、かまってちゃん・かまって君って自分勝手なイメージがあるし、失礼なことしてきたり、失礼なこと言ってきたり、はたまた、ほっとけない言動を見せてきたと思ったら、いきなり素っ気なくなる。とにかく、手がかかる印象があります。
でも、手がかかること自体に、喜びを見出す。そんなカップルや夫婦だって存在するので、まあ、それはそれで良いんじゃないかって思うのですが。私は、いい意味で自立し合っている。いい意味で依存し合っている。そんな関係性が健全かなと思うのです。
だからこそ、しっかりとアイステートメントしながら、相手と向き合っていきたいと思うのでしょうね。相手は、バカではないのですから。たとえ、自分より何歳若かろうが、中学生だろうが、小学生だろうが、そこには相手の意志があるわけです。相手が人生の中で味わうべき苦労や困難、喜びや悲しみ、嬉しさや楽しさ。それらを味わう権利があるわけです。
人は、自力で気づいた事に最も納得する
結局ね、そんなものなのです。だからこそ、その気づきの瞬間のために、苦労する時期が必要なときだってあるし、それを経験しないと、腑に落ちないことも多いわけです。
相手にサポートが必要なときは、喜んで手を貸すし、私にサポートが必要なときは、その人を頼る。(時期により、頼れないケースもあるでしょうが、できるだけ、区別せず決めつけず、その関係を目指す)
相手の境界に必要以上に侵入しない、自分の境界に必要以上に侵入させない。(侵入が必要な時もあるでしょうが、そのときは慎重に行う。覚悟を持って、時には専門家の力を借りて)。
ようするに、無理せず、助け合える関係を一緒に作る。という感覚ですね。これはね、「奪われるのが嫌」という思考があると出来ないことなので、奪われる思考がある人は、それを手放すことからが、スタートなのかもしれません。
まとめ
- かまってちゃん、かまってくん状態にいる人の特徴
- 自己承認ができない、できていない
- サポートシステムが、極端に少ない
- 甘えられる関係が出来ていない人に、甘えてしまう
- 人が離れていく or 期待通りの反応が得られず、自分から離れる
- 孤立する
- 承認欲求がさらに膨らみ、自己評価がさらに下がる
- さらに孤立する(精神的にも、物理的にも)
- 防御姿勢が強固になる、人を選ぶ
- さらに、さらに孤立する
こういう悪循環になっている人が多いです。
だからね、トリセツとしては、この3つを覚えておくとよいと思います。
- 誰にでも「かまってほしい時期」はある。上下意識を持たない
- 相手の課題を必要以上に抱え込まない
- 頼り合う
ポイントは、3つ目です。頼り合えたら、素敵な関係が作れます。自分も、積極的に相手と関わりたいと思うようになる。
でも、頼り合えず、自分ばかりがサポート役だと、その人と会うことが苦痛になったり、面白味を感じられず、自己嫌悪となったり、会わない方向に持っていったりします。
だから、結局3つどれも大切ってことですね。自分がしんどいと思ったときは、勇気を出して、言い難いことを伝えることだって必要だし、距離を置く選択肢が必要なこともある。喧嘩して仲直りするって過程が必要なことだってあるってあるわけです。
「この人は、かまってちゃんなところがあるから…」とカテゴライズせず、本当のその人の魅力を見つけてあげてください。その姿勢が、信頼関係を作り上げる姿勢なんだと思います。
上記3つに注意しておけば、振り回されて疲労困憊になることは回避できるでしょう。