女性の本質を読み解く方法
今回は、こんなテーマです。そもそも、本質とは何か?それは「そのものとして欠くことができない、最も大事な根本の性質・要素」のことです。これは私がこれまでずっと紹介してきたノウハウ式に言うなら「人生のキーワード」とも言えるのかもしれません。
ただ、私はね、確かに本質的なものは、それぞれの人にあるとは思うのですが、その本質は、とても流動的だと感じており、おそらく多くの人が人生の後半で気づいていくものなのだろうと感じています。
人の本質とは、何なのか?
たとえば、それはその時期強く「母になりたい」と願ってやまないことかもしれない。これは、当然母性本能からくる気持ちもあると思いますが、その真上には「自分の理解者が欲しい」「家族という絶対的な味方が欲しい(=孤独を感じさせないもの)」という背景も強くあるように思うのです。
さらに、もっと上辺には「レールから外れたくない」「人ができていることで自分が出来ていないことがあるのは嫌だ」「みんな持っているから、自分もそれが欲しい」そんな同調圧力や不安・恐れからくる気持ちもあるでしょう。
私はね、本質とは、やっぱりね、流動的であり、その時期により大きく変わる。本人の中では、そこがブレることも非常に多いのだが、結局最後は大きな何かに統一されていく。そんなもののように思うのです。
要するに何が言いたいかというと、その本人が自分の本質に気づいていることなど、ほとんどないのではと感じるのです。みんなね、自分の本質探しをしているほど、暇じゃないのです。そこまで深く思考を掘り下げることが好きな人は、あまりいない。
確かにね、自己啓発が好きだったりすると、掘り下げたりもするわけですが、それでも、みんなね、仕事だったり、健康のことだったり、目の前の恋愛だったり、友達のことだったり、将来のことだったり、色々な不安と悩みにいつも悩まされています。
だから、本質を読み解くのは、その本人に心の余裕ができてから。もしくは、大忙しの毎日の中でふと気づく事だったりするように思うのです。要するに、私が本質をどう定義しているかというと?
本質とは、その人の中にある「絶対に譲れない価値観」のようなもの
わざと譲らないというより、どうしても譲ることができない、ここを他人に合わせ過ぎると、心と身体が病んでしまう。それほど、破壊力のあるもの。
自助作家ヘンリー・クラウドの言葉をかりるなら「境界線」の奥にあるものと言えるのではと感じます。
その具体例は、たとえば、、、、これは言語化がとても難しいテーマですが、そうですね、私なら「自分の本質は?」と聞かれれば「自由」と「思考」と「表現」だと今は答えるでしょう。
自由に不安を感じることも多いわけですが、それでも自由にさまざまな人たちと話し、さまざまなものごとを思考し、そして表現していく。
これが、私のライフワークであることは、もはや疑いようもないわけですから。
でも、こんなこといちいち言語化してる人って、いないですよね?(笑)なので、気づかなくても生きていけるし、みんなさほどそこに興味がないテーマなのだと思います。
その人の本質とは、基本流動的なものである
本人は気づいていないことが多く、突然本人が気づいたりするもの
このように定義しています。で、です。話を戻しましょう。今回のテーマは、この「本質を読み解く方法はあるのか?」「踏み絵的なそんな方法があるのか?」という質問です。
人の本質を読み解く方法
本人が自覚しているケース
もっとも簡単な方法は、本人が自覚しているケースです。たとえば、私の母であれば「人助けが使命だ」と本人は豪語しています。それは、日常の行動を見れば明らかで、やらされている感もなく、毎日ボランティアに励んでおり、本当に楽しそうです。
「だから、あんなに年齢の割に若いのだろう」と周りが驚かされるほどです。彼女の場合、本質は「人と関わり、人の役に立つこと」なのかもしれません。(この表現が適切かどうかはさておき)。
本人が自覚していなくても言動に滲み出ているケース
私の知人で、本気で遊ぶことが大好きな人がいます。先日、一切お金を徴収することもなく、30人40人の規模で、素人が集まりお笑い芸人のモノマネグランプリを開催していました。有料の会場を借りて。
私は観客として遊びに行ったのですが、相当クオリティが高く、最近の漫才に疎い私が見たら、半分以上の出演者が、本物の芸人さんに見えたほどですw。演者たちに一切報酬は発生していません。でも、全員が本気で楽しそうなのです。私はその光景を見て笑ってしまいました。
目に見える分かりやすいメリットがないと動かない。これが、もはや当たり前中の当たり前になっている現代で、わざわざ数カ月前から、何カ月も準備して練習を重ねた演者たち。しかも、それが何の役に立つのかと聞かれれば、なんだろう、別にね、モノマネが大好きなわけでもなく。趣味の世界なわけでもない。
目立ちたいわけでもなく、世間の話題になりたいわけでもない。ただただ、面白いことがしたい人たちの集まりを目の当たりにして、笑ってしまったんです。
その知人とは、そこまで深く話したことがないので、本質が何かなんてもう相当想像の範囲ですが、おそらく、なんだろう、私がもし彼なら、ただただ笑いたい、ただただ面白いことがしたい。もっといろいろな世界を見て、もっと人生を謳歌したい。そこに尽きるように思うのです。
おそらくね、この種の人達って、コミュニケーション(他人との関り)にストレスを感じない人が多いですから、日常の悩みや不安・懸念が他の人達に比べ、少ないのかなと思ったりもしますが。(これは、私の妄想であり、実際は、めちゃくちゃ不安と懸念・恐れの塊かもしれませんがねw)
私も、似たような趣味趣向を持っているため、彼らの活動は、とても興味深いです。こんな風に、本人が「使命だ」なんて、大袈裟な表現をとっていなくても「もう、それがその人を表しているよね」という言動をしている人は、結構多かったりしますからね。
あえて本質を勝手に推測するなら、人との関わりであり、自己表現であり、その一連の行動の中で、きっと何かを新しい気づきを感じとっており、その時間と後からの来るであろう気づきそのものを楽しむというのでしょうか。
そんな一連の行動に価値を見出している。自力で何かを作り出すことへの魅力を愛してやまない。そんな感じなのかもしれません。
あらためて、人の本質を読み解く方法をステップ化してみたら…
これはね、なんだかこうの手の「人の本質を見抜く」この行動をステップ化して雛型化することは、とても野暮な行動のように思います。
*野暮=風雅な心に欠けていること。また広く、洗練されていないこと。
こんなことを言うと質問を頂いた方に、アレなのですが。相手の本質とは、コミュニケーションを通して肌で感じるものであり、それをステップ化することは、なんだろう、とても野暮なように思うのです。感じるものであり、それをあえて探りに行くものではないのかなと。
まあ、昔の私なら「本質を探り出すことで、相手を感動させられる」なんて解説していたのでしょうが(苦笑)、今はあえて探りにいかなくても、感じるものであると思ったりもします。
本質=その人が愛してやまないもの
こうも定義できると思うので、だからこそ、それを見つけることが楽しみであり、その人そのものに興味を持ち、追い続けていれば、ステップ化する必要もなく、自然と見えてくるもの。そんな気もします。
ただね(苦笑)、こんな結論だと読み物として面白みがないかもしれないので(笑)、あえて、私が「その人の本質は何なんだろう?」と考えるときに、頭の中でやっていることを言語化してみますね。
本人が(損得勘定なく)ずっとやっていることは何か?
ここを見ているように思います。本当にお金儲けが腹の底から好きな人って、まあ確かに利益や損益を凄く気にしているのですが、四六時中そのことを考えており、それって総合的に見て、採算は合わないように思うんですよね。
私の母のボランティアしかり、知人の本気で遊ぶ行動しかり、私の思考の言語化しかり。あなたの周りにも、似たような人がいるかもしれません。それに、あなた自身も「(損得勘定なく)ずっとやっていること」はあるように思います。また、それ以外にもこんな風に考えることもあります。
その話題を話しているときは、目が輝く(瞳孔が開く)
たとえば、私の友達にパン職人の子がいます。お菓子作りの話やパン作りの話をしているときは、本当に楽しそうだし、瞳孔が開くほど目が輝いています。きっと彼女は、本当にその創作活動が好きなんだろうし、自分の作ったものを食べてくれる人の顔を見ること、人を「食」で「もてなす」ことが好きなのでしょう。
そう考えると「もてなすこと」自体が喜びなのかもしれません。
本質は、視座を上げると見えやすい
こんな風にも思います。たとえばさっきの話だと、パン作りが好きなのではなく、その一連の行動を通して「もてなす」ことをしたいわけです。
また、パンが焼きあがっていく過程や、生き物のように毎日その仕上がりを変える、パンへの愛着・そんなパンとの関係を楽しんでいるのでしょうし、大好きなパンとコミュニケーションを取るように試行錯誤する行為自体に喜びを感じているのかもしれない。
こういう人は、往々にして、その「試行錯誤」や「もてなす」ことを別の一連の流れを通して楽しんでいたりもします。私にしても、文章を書くことが好きなわけじゃないのです。たまたま、これが少しだけ人よりも得意だった。だから、他の自己表現手段があるのなら、それを行っていたでしょうしね。
やりたいことは、思考を見える化して、誰かと共有し、共有する行為を通して、共存したい。これなのですから。
本質は、不安や恐れがあると見えない
もし、その相手が何かにざわついており、怒っていたり、感情的になっていたり、泣いていたり、平安でない状態で、本音を話さないのなら、そのときに本質が見えることはありません。今表に出ているものは、すべて防御からくる言動のため、そこに本質はないように思うのです。
迷っている時期なのかもしれないし、思考停止してフリーズしていしまっているのかもしれない。色々な状態の人がいるでしょう。この状態は、ただただ不安や恐れにまみれているだけで、そこに本質は一切なく、本質とは、もっと人が共存していくために、男女が、パートナー同士が共存していくために、必要不可欠なものですからね。
まあね、たとえば「ヒトラーの本質は?」と聞かれた専門家が、仮に「彼はずっと愛に飢えていた」なんて話すのではれば、確かにそれは、その人が死ぬまで抱え続けた負の遺産であり、それだけに突き動かされ続けた人生なら、それが本質と言えなくもありません。
ただそんなことは、結局自分が死んだあとの結果論であり「愛に飢えていた」ということは「誰かに愛されたかった」と同時に「誰かと心を繋げたかった」ことになります。
ようするに、人が好きだったり、誰かを助けたかった。役に立ちたかった。と言えなくもないわけです(あくまでも仮の話ですよ)
女性の本質を読み解く方法・まとめ
本質に関しては、性別は問いません。基本男と女も、それ以外の性別の人達も、性別がない人も同じだと感じます。また、それを読み解くとすれば、私がやっていることは、この2つです。
- その人が損得抜きにずっとやっていることを思い出す
- その人の目の輝いていた話題を思い出す
さらに、あえて言うなら、以下のことも無意識に行っています。
その人の言動単体でなく、視座を上げて、その人の言動の奥にあるもの(本質)を見ている
何だか今日は、抽象的な話になっちゃいましたがw。テーマが本質という抽象的なものなので、仕方ないですね。
本質が見えると迷わなくなる
これは、自分のものに限りますが、自分の本質が見えてくると、いちいち迷わなくなり、行動量も自然と増えてきます。使命探しなんてする必要は皆無だと思いますが、少しだけ頭の隅に「自分の本質とは?」なんて問いを置いておくと、あとあと面白い人生になるかもしれません。
また自分と相性の良い相手も引き寄せやすいでしょうし、相手を選ぶときのひとつの基準にもなるでしょうね。
女性の本質が見えると、そこを最も愛せるから、他の短所が赦せ、関係が長く続く
本質とは、だいたいのケース、その人だけにある、その人独特の、その人最大の長所だったりします。だから、そこが見えると、そこが最も愛せる箇所になったりします。その結果、他の短所が赦せ、ゆるせるということは、お互いを認め合い、尊重し合うということですから。
2人の関係が長くことにもなるわけです。
こう考えると、たまにはこういう抽象論を掘り下げることも、とても良いことだなと思ったりもします。
次回のテーマはまだ未定ですが、おそらく「従いにくい命令・従いやすい命令」こんなテーマにすると思います。では、今日はこれで終わりますね。また次回^^。