自力で不安を消す具体策2つ
こんばんは。彩ことちえです。
では、早速今回のテーマを紹介していきましょう。
その内容は「告白したら保留にされた。どうしたらいい?の続き」
自力で不安を消す具体策2つ
をお話ししていきますね。
「告白したら保留にされた。どうしたらいい?」の詳しい相談内容は、以下をご覧ください。
2週間ほど前から、通勤時にポッドキャストにて拝聴し、日々勉強させていただいております。
お忙しいところ、恐縮ですが恋愛相談させてください。
結果からお話しますと、告白したら保留にされましたという相談です。
社会人3年目でやっと仕事の方も慣れてきて、マッチングアプリにて、恋人を探していたのですが、ある女性(24歳 会社員 営業 以下Aさん)とやり取りし、会うこととなりました。
Aさんとは、同県の大学に通っていたことが判明したことや、食べ物の好みや価値観が似ていることもあって、3回デート(居酒屋、ドライブ)を重ねることができました。
恋愛は、苦手分野ではありますが、それなりに手ごたえはありました。
いつも笑顔で、優しいところに惹かれ、3回目のデートで、僕から告白させてもらいました。
すると、もう少しHさんのことが知りたいです。
次のお返事は、私からしますねとのことでした。
帰りの車の中では、すごく優しいし、一緒にいて凄く楽と言ってくれて、次はどこにいきます?とかお話して、特に気まずくなることなくお別れできました。
5日後、僕から週末会えませんかと、お誘いしたところ、出張とのことで断られました。
今までも僕からお誘いしていたのですが、今までは、都合が悪くても別日を提案していてくれていたのですが、今回はありませんでした。
それから、出張どうでした?などlineをしていたのですが、だんだんと返信が遅くなってきている気がしました。
1日来ないということもありました。
もともとAさんは、lineが苦手な方で返信が遅い方なのですが、それでも、告白前は1-2通/日と返信が来ていていました。
さすがに迷惑がられているかなと思い、スタンプを送り一旦、lineを切り、今に至ります(既読アリ)。
・再度、誘いのメッセージを送るべきでしょうか?
・今まで、単なる優しい人で終わることが多かったのですが、今回も同様な結果でしょうか?
気が凄くあっただけに、落ち込んでおります。
アドバイスいただけたら幸いです。
長文失礼しました。
この方からの質問を掻い摘んで伝えるなら、
- 再度、誘いのメッセージを送るべきか?
- 今まで、単なる優しい人で終わることが多かったが、今回も同様な結果だろうか?
この2点でした。
そして、前回私は、こんな風に答えていました。
(意味は同じですが、前回と別の表現をとります)
- 相談文を読む限り、本当は分かっているのではないか?どうするべきかが。
- でも以下2つのざわつきが消えず、自分の思いつく行動に確固たる自信が持てず・・・。
- 「一生一人なのではないか?」「この先ずっと恋人ができないのではないか?」という類の恐れ
- 「また同じ失敗をしてしまったんじゃないか?」という類の恐れ
- 「再度、誘いのメッセージを送るべきでしょうか?」「今回も同様な結果でしょうか?」この質問に繋がったのではないか?
と。
結局、
恋愛を含めた人間関係は、ザワつきを自力で消せるかどうか?これがすべて
だと、私は感じています。
ザワつきがあるとき、人はおかしな行動をとります。
告白して保留にされ、返事速度も前より遅くなった。
これが、赤の他人の出来事なら「まあ、残念だけど、急かすのもどうかと思うし、待つ方がいいんじゃないかな」となりやすいでしょう。
人によっては、一か八か!迷惑のない範囲で「もう一度連絡してみようかな」と思う人もいるでしょう。
どちらにせよ、自分の判断に、ここまでの迷いは感じないでしょう。
自身の中に、不安や恐れがなければ。
でも、恋愛や人間関係で悩み続けていると、この確固たる自信というやつが持てなくなるのです。
いちいち、いちいち、迷うのです。
本当にこれでいいのか?と。
この「いちいち迷う病」とでも呼ぼうかなと思う、現象の根っこは、相手にはなく。
状況のせいでもなく。
ただただ「自力でザワつきを消す手段を知らない」
ここに尽きるのです。
人は、心底落ち着くと「ベストな行動」を必ず思いつく
これは、もう絶対と言い切ってもいいほどです。
自分で、思いつけるのです。
仮に、この思いついたアイデアが間違っていても、そこに後悔の余地などなく、また前向きに人と接することができるんです。
でも、それが出来ないということは、やっぱり何かしらのザワつきが脳内を占領しているのです。
だから、
まず何よりも「ザワつきを自力で消せるようになること」が、好きな人と絆を結ぶ最短ルート
なんです。
では、今回のケースの場合、どうやってザワつきを消していけばいいのか?
私からのアイデアをお伝えしていきます。
私なら、このように消していくでしょう。
消し方①「一生一人なのではないか?」「この先ずっと恋人ができないのではないか?」という類の恐れ
まず私なら「今は“過程”である」と思い出します。
たとえば、今自分が、29歳だとします。
61歳でもいいです。
あと、おそらく10年以上は生きるだろうと仮定します。
自分で命を絶つ選択肢もありません。
となったとき、まだ人生の結論は出ていないことを意図的に思い出すんです。
言い聞かせるに近いときもあります。
なぜか、人は「すぐにの答え」を欲しがります。
なぜなんでしょうね?w
きっと「なにか答え」が出ることで、安心するのでしょう。
どうなるか分からない。
この不安定な状態に、気持ち悪さや怖さを覚える習性があるのかもしれません。
その理由は、まだ今は定かではありませんが、とにかく、あと少なくとも10年。
一か月が、12回×10回分も残っているのです。
その状態で「一生一人なのではないか?」「この先ずっと恋人ができないのではないか?」の問いに「イエス」と結論を出すことは、あほらし過ぎる。
どれだけ悲観的やねん!と自分を苦笑して、いい意味で肩の力を抜かせる。
自虐ジョークを自分に浴びせるんです。
ジョークが出た時点で、クスッと笑えた時点で、平常心に戻れていますから。
ジョークが出る=落ち着いている状態ってことです。
さらに。
他人と比べている自分に気づいたのなら?評価を手放します。
「一生一人なのではないか?」「この先ずっと恋人ができないのではないか?」
この類の恐れの影には、
- 「他の人は、ちゃんと伴侶がいるのに、自分だけいない」
- 「他人が手に入れているものを自分は一生手にできないのではない」
- 「自分は、ずっと仲間外れ」
- 「自分はずっと、苦笑され続ける」
- 「見下され続ける」
大袈裟に聞こえるかもしれませんが、このような恐れや不安が潜んでいることがとても多いです。
他人と自分を比べ、自分が劣っていると感じる場合、ずっと自分を責め続けるのです。
ずっとです。
一日中、四六時中、一秒の猶予もなく「お前は劣った人間だ」と思考が自分を責め続けているんです。
無意識化でも意識下でも。
そりゃあなた、どんなに頑張っても自信など持てるはずがありません。
だって、一日中、四六時中、一秒の猶予もなく「お前は劣った人間だ」と自分の思考が自分を責め続けているのですから。
人間の思考とは「鏡」。自分が誰かを評価していたら、他人も自分を評価すると(問答無用で)思い込んでしまう
もはや、ここに意志の力は、ありません。
歯が立たないのです。
まったくの無力です。
たとえば、
- 美人に話しかけることに、ビクつく
(主に、嫌われることや他人にどう思われるかが怖いことが原因で)
こうなるときって、相手を評価してるわけです。
ブサイクな人より、美人の方が、価値が高いと。
だって、ブサイクなら気軽に話しかけられるわけですから。
その結果「自分も他人から何かしらの評価をされているだろう」と思い込みます。
それが、さも真実かのように。
でも実際は、人の性格により、違います。
状況により、変わります。
気分により、変化します。
本気で顔の造り一切関係なく、人を好きになる人もいます。
収入の額の多い少ない関係なく、伴侶を選ぶ人も大勢います。
むしろ、収入をさほど気にしない人の方が多いほどです。
外見や経済力を最低限気にする人も多いでしょうが、それでも「そこだけで判断する」という人は、相当少ないでしょう。
でも、いつもいつも誰かを評価することが癖になっていると、有無を言わさず「相手も今自分を評価している」と思考が暴走します。
それが本当かどうかも分からないのに。
その結果、評価されることが怖いという感情がみるみる増殖し、たとえば、
- 気軽に話しかけられない
などの現象が起きるわけです。
- なぜ分からないけど、身体が動かなくなった
というやつです。
ナンパ用語で、地蔵って言うんでしたかねw。
ちょっとナンパ系はあまり詳しくないので、定かではないですが、とても的を得た表現です。
かくゆう、以下の恐れや不安も、評価されていることが前提で、生まれるものです。
- 「他の人は、ちゃんと伴侶がいるのに、自分だけいない」
- 「人が手に入れているものを自分は一生手にできないのではない」
- 「自分は、ずっと仲間外れ」
- 「自分はずっと、苦笑され続ける」
- 「見下され続ける」
でもね、結局はね、
- 他人は、自分が思うほどの自分に興味を持ってない
のです。
よく言われることですが、これが腹落ちしていないことも、評価が怖い時期にいる人の特徴です。
あなたが今「好きな人からどう思われているのか気になる、嫌われるのが怖い・・・」と必要以上に思っているなら?
その状態は、あなたが自分自身について考えているということです。
相手のことは、さほど考えていないってことです。
一見相手の事を考えているように思えても、根本は自分の心配なわけですから。
人は、自分が思うほど「他人」のために思考は使わないのです。
これは、生きていくために必要な術なのでしょう。
みんな自分の人生を生きることに必死で「あの人、●歳なのに、まだ独身なの?」「まだ恋人いないの?」なんて、多くの時間を使って考えていることなど、稀です。
たまたま話題に出たとしても、次の瞬間にはもう忘れています。
それ程度なのです。
たまに、相当意地悪な人が、ストレス発散のために、あなたの恋愛事情をネタにすることも、なきにしもあらずです。
でも、そういう人こそ、あなたよりもストレスまみれで、相当しんどい毎日を送っているはずです。
なぜなら、口に出すほど他人を蔑む行為をやめられない、、、、。
自力でザワつきが消せない状態にいるからです。
どれだけ「あの人は、そう言われて当然」「バレなきゃいいんだよ」なんて正当化しても、必ず心の奥底に罪悪感が積もっていくものですから。(無意識の罪悪感もあると思います)
そして、その罪悪感に押しつぶされたとき、その人は心を病むでしょうし、人が離れていくでしょうし、孤独になっていくでしょう。
どれだけ人が周りに溢れているように見えても、孤独を感じ続け、命を絶ってしまう。
そんな有名人も大勢いたはずです。
結局ね、自分が誰かを評価し続ける限り、自分も評価され続けていると、思い込んでしまう。
それが人間なんです。
だから、あえて自分から評価を手放すのです。
そうすることで、「自分が評価しないから、相手も評価しないだろうし、仮にされていても、そんなものは一瞬の出来事である」と、オモシロいほどに思考が動き始めます。
これは、私の実体験ですが、無意識にそう思います。
完全なる自動思考です。
オートマチックに、誰かに話しかけるとき、頭に浮かんでいた「え?私なんかが話しかけて大丈夫?」「この人に、めんどくさいと思われるんじゃないか?」「どう思われているか、気になる・・・」この思考が、まったく出なくなり。
「話しかけてみないと、わからないよね」となったわけです。
もちろん、迷惑のない範囲で。
ここまでは「話しかける時、どう評価されるか?」を気にし過ぎて、地蔵になる話でしたが。
今回は、以下のような評価が気になり過ぎて、思考が止まってしまう。
自分の判断に自信が持てない。
だから、告白した相手の判断を待つに待てない。。。
こんな状態の話でした。
- 「他の人は、ちゃんと伴侶がいるのに、自分だけいない」
- 「人が手に入れているものを自分は一生手にできないのではない」
- 「自分は、ずっと仲間外れ」
- 「自分はずっと、苦笑され続ける」
- 「見下され続ける」
Q.なぜ、この思考(不安や恐れ)が消えないのか?
頭では「そんなことないはず」と分かっているのに、なぜ消えないのか?
その根っこには、自分が他人を評価している。
これが潜んでいる可能性もあるわけです。
だから、自分が他人を評価することをやめれば、この必要以上に「見下されることが嫌」という怒りに直結した不安・恐れが、すーーーと消えてなくなります。
その結果「ま、とりあえず待ってみるか^^」なんて、気楽に待てたりするものなのです。
もしくは、凄く気になるけど「今は仕事に集中しよう」なんて、思考をカラッとスッキリ切り替えられる。
これは、仕事がデキると言われる人達の特徴ですね。
他人を評価すること、裁くことをやめるのです。
と、言いつつ、、、。
かくゆう、私も評価まみれの人間でした。
いつも他人と自分を比べ、
- この人は自分の役に立つのか?
- この人は自分の利益になるのか?
- この人は自分に害を与えないか?
と、人を評価し続けていました。
家族や恋人、長年仕事を共にした相手ですらも。
その結果、相手からの評価が気になり過ぎて、動けなくなったのです。
まさに地蔵人間。
私の場合は、それが当時引きこもりという現象として現れました。
人を完全に遮断して、人と関わることが本当にストレスでした。
これじゃあ、当然の話、当時は恋愛どころじゃありませんでしがねw
引きこもりとまではいかずとも、人の集まりを必要以上に避けていたり、誰かとコミュニケーションを取ったあと、どっと疲れる。
こういう状態がちょっと目立つなと自覚がある人は、他人を評価することからくる「自分も評価されているのではないか?」という恐れや不安に縛られているのかもしれません。
意外と、人は、こちらをそこまで評価などしてないものです。
でも、それが信じられず、必要以上に防御し、なかなか人と仲良くなれない。
親しくなれない。
それが、目立ち過ぎると、人間関係に支障が出てしまうんです。
よく「大人になるほど、友達ができ難い」って説ありますよね?
これは「大人になったから、友達ができ難い」のではなく「年齢を重ね、防御する術を覚えたから、新たに出会った人達に必要以上に心を開かない人が多い」って事なのだと思います。
あとは、まあ大人になると「すでに出来上がっているコミュニティ内で、ほとんどのことが事足りますから、新たな関係を作る必要性もない」ということもあるのでしょうね。
話を戻しましょう。
少しずつでいい。
私も一年と少しかかりました。
評価を手放すことが。
でも、断言できます。
他人を評価することをやめると、人に好かれます。
人が寄ってきます。
人が自分を好きになります。
そして、自分も人を好きになれます。
人生が、楽しくなります。
人に囲まれ、愛されるようになりますし、人を愛するという行動を積極的に取るようになります。
その行為自体が、幸福感をあなたの中に産んでくれるもととなるからです。
これは、私の経験を通して感じた紛れもない事実です。
「他人を評価することを、やめてみる」
この選択肢があることを、是非頭に入れてみてください。
次回は、評価の手放し方について、私が編み出したアイデア(方法論)を紹介しますね。
仕組みを知れば、簡単です。
あなたも自分で編み出せるようになりますよ。