「どう思われているか気になる」と縁を切る方法
こんばんは。彩ことちえです。
では、今回も早速はじめて行きましょう。
今回も「告白したら保留にされた。どうしたらいい?」をテーマに取り上げていきます。
前回までは、
- 「告白したら保留にされた。どうしたらいい?」このベストな答えは、だいたいのケース、当の本人が分かっています。
- でも、告白の返事を平安な気持ちで待つことができず、不安の沼から出られなくなる。
- この現象が起きる理由は、本人が絶賛ざわつきの沼にハマっているからです。
- ざわつきの沼にいるとき、人は正常な判断ができません。
- そのため、必要以上に催促しちゃったり、はたまた、妙な駆け引きをはじめたり、ぐるぐる考え過ぎて仕事が手につかなくなるほど日常に支障が出たり、眠れなくなったり、自己評価をひどく下げてしまったり。
- 「さっさと結論を教えてくれよ」と怒りを感じたり「女って本当に分からない」と女性という性に妙なバイアスをかけ、その相手個人を見ることができなくなり、今後の恋愛に悪影響が起きたり、、、いろいろな弊害が起こるのです。
- もしあなたが「ざわつき過ぎているな、今の自分」と感じるなら、まずは自力でそのざわつきを消すことです。
- ざわつきの奥には、ほぼほぼ「不安・恐れ」がありますから、ざわつきを消す=不安や恐れを見つけ、消していくことです。
- そのため、前回のシューイチでは「自力で不安を消す具体策」を3つ紹介していたわけです。
では、その続きです。
今回は
「他人を評価する癖」と縁を切る方法
こんなお話です。
前回、
Q.なぜ「待てばいい」と分かっているのに、こんなにもざわつくのか?
Q.「女性はこの人だけじゃない」と頭では理解できるし、相手にも選ぶ権利・ペース・さまざまな事情があると分かっているのに、なぜ待つことができないのか?
Q.なぜ「いったん保留」がこんなに辛く感じるのか?待てる人もいるのに。。なぜ自分はそれに難しさを感じているのか?
この理由のひとつに、
・他人からの評価。または自己評価にまみれ、足をひっぱられている
というものがあると、話していました。
覚えていますか?
「他の人はみんな持っているのに、自分はそれを手にできていない」
そんな劣等感や人生への不足感・自己卑下に繋がる考えが、自分の脚をひっぱり、告白後、相手に考える余地を与えなられない。
「悲しいことだけれど、ダメならダメで、ま、仕方ないか!ひとまず、待ってみるか!」この考えに自力でたどり着けない。
こんなざわざわな状態を作ってしまうのです。
まるで、めちゃめちゃ厳しい鬼コーチが、あなたを問答無用で評価しているかのように。
- なんて、お前はダメなんだ!
- 結局、ダメなんだな‥?
- やっぱりお前には、そっち系の才能はなんだな?
- 諦めろ!
- もう仕方ねーよ!
- どうせ誰にも相手にされねーよ
- 人は結局離れていく生き物だ!
- お前は幸せカップルにはなれねーよ
容赦なく、嫌なことを言ってくる、、、そんな感じです。
こうなってくると、ただの(自分への)悪口が頭に響いているだけです。
こうやって、他人と自分を比べ、そして自己評価を必要以上に下げ続け、心を病んでしまうことも頻繁にあるのです。
この現象の特効薬のひとつは、評価を手放すことです。
「他人と自分の違い」それを気にしないことです。
「他人は、他人、自分は自分」と思えるようになることです。
現実問題、あなたにないところを他人は持っているかもしれませんが、他人にないものをあなたは必ず持っていますから。
でも、そう簡単に「人はひと、自分は自分」なんて、思えないのが現実です。
そこで、今回は「評価を手放す実利的な方法」として、あるイメージング手法をあなたに紹介しようと思ったわけです。
私自身、評価を手放すことで「精神的自由」を手にしました。
他人の目が気にならないため、やりたいことに躊躇なくチャレンジできるし、躊躇したとしても、最終的に本当にそれがやりたいのなら、勇気を出すことができます。
また、他人と自分を比べないので、自分が人よりもペースが遅くても、気にせず着実に物事を進めていけるようになりました。
変に焦らないのです。
また、他人の目が気にならないから、話したいと思った人には、気軽に話しかけられるようになりました。
もちろん、ケースバイケースで「今はどうかな」と思うこともありますが、それでも繋がりたい人と繋がる。
これが圧倒的にできるようになりました。
恋愛でも、必要以上に相手の気持ちを詮索することがなくなり、だいたいの時間、自然体でいられるのです。
自然体でいられるから、緊張することもなく、ジョークが口をついて出たり、会話が盛り上がったり、相手の求めていることが見えてきたり。
本当に、良いことしかありませんでした。
なので、あなたにも「評価を手放す」この概念を採用してほしいと思ったのです。
(必要性を感じる人には)
では、具体的にどうやって評価を手放すのか?
その方法は、とてもシンプルで「自分が他人を評価することをやめる」のです。
人はオモシロいもので「自分がやることを他人もやっている」と必ずと言っていいほど繋げてしまいます。
LINEを頻繁にブロックする人は「ブロックされたのでは?」と不安になりがちです。
ブロックなんて一度もしたことない人は、この不安や懸念に苛まれる回数がゼロ、もしくは極端に少ないです。
自分が他人に行うこと・思ったことは、自分を苦しめる要素になるのです。
だから、他人を必要以上に評価している人は、自分も
- 今どう思われているか
- 今見下されたのではないか?
など、このような考えがすぐに頭に浮かんでしまう。
もうこれは、悪癖のようなものです。
かくゆう、私も評価にまみれた人間でした。
- この人は私の役に立つのか?
- この人と付き合う価値はあるのか?
- この人は自分の時間を奪っていないだろうか?
と、他人を評価しまくっていました。
経済力や周りの人脈など、いわゆる一般論が良しとする評価基準に振り回され、生きてきたくちです。
だからこそ、他人からの評価が、とてもとても気になっていたんです。
心が病んだり、生活に支障が出たり、疲労困憊になってしまうほどに。
だから、私は「人生から、評価という概念を極力減らしていこう」と、ある日決めたのです。
私は、今後いろんな人と話したいし、死ぬまでにあと4回くらいは、アメリカで行われるバーニングマン(イベント)に行き、いろんな人と話したい。
大好きなレイヴ(音楽イベント)に行き、そこでの出逢いも楽しみたい。
良い繋がりは、恋愛に限らず、人生をびっくりするくらい豊かにしてくれますから。
確かにマナーは必要だが、他人にどう思われているかなどの必要以上のざわつきを手放したい。
切に、そう思っていたわけです。
バーやカフェ・イベントでもし素敵な人と出逢ったのなら、気軽に話しかけたいし、その方が楽しいことは、明らかに分かる。
そんな風に思っていたわけです。
お酒の勢いなどなくても、自然に話せてしまう。話しかけてしまう人も、世の中には存在します。
この生き方が良いか悪いかなどはどっちでもよく、私もその精神状態に近づきたかったのです。
だから、評価を手放そうと決めたのです。
そこでやったことが「他人への評価を一切手放すこと」でした。
でも、やっぱり癖が残っているわけです。
つい「どう思われているのか?」と心配になったり「あ、今私、この人のこと上に見てるな」「下に見ているな」と気づく場面が、頻繁に訪れます。
それをその都度、いろいろなイメージで、払拭していきました。
具体的には、こんなイメージです。
頭の中に横線を引きます。
そして、そこに世の中の誰もが「凄い」と言いそうな人と、自分、そして、自分が評価を下や上と見なした人を並べます。
たとえば、
- 大谷翔平選手
- 私が見下したオドオドしている人
- 私が見上げた尊敬できる面を持っている人
今までは、この3人が縦に並んでいました。
それをまず、横一線にしたのです。
でも、やっぱり、自分の中で、この3人の優劣が消えません。
なぜか、大谷選手と尊敬できる人だけ、光っているように見え、おどおどした人は色あせて見えたのです。
だから次に、大谷選手におどおどした人の動作をさせていきました。
頭の中で、大谷選手が、どもっており、おどおどしており、ぺこぺこしています。
そして、尊敬できる人にも、おどおどさせてみました。
そして、おどおどした人には、何か分からないが凄い面があり、周りに尊敬されているイメージを思い描きました。
すると、ふとこんな考えが浮かんできたのです。
- 「人間は、いろいろ面を持っている」
- 「自分が、沢山の顔を持っているように、他人も沢山の顔を持っている」
- 「でも、なぜか、たった一つの面だけを見て、その人を決めつけようとしている、今の自分は」
と。
そう、このイメージをすることで、
- 人には様々な顔があり、その一面が今際立っているだけで、みんな結局同じなんだ
- 今自分がランク付けした評価は、幻なんだ
- おどどした私の知り合いも、大谷選手も、全く同じなんだ。
- 何ら変わらない、ただただ地球で生きている人間
- 放火犯からすると、おどおどさんも大谷選手も、ただの燃料に見える
- むしろ、おどおどさんが太っているなら、そっちの方がよく燃えると思われるかもしれない
- よく燃えるなら、放火犯からすれば、オドオドさんの方が価値が高いことになる
- ようするに、評価なんてものは、見方により一変する。一瞬で
- ようするに、評価という概念は、まぼろし、蜃気楼。あるように見えてない実はないもの。存在しないもの。
その幻に振りまわされている自分に、とてもアホらしさを覚えたのです。
伝わるでしょうか?
イメージングという技術を使い、実感できないことを「実感」していく。
これが、評価を手放すときに、とても役立ちます。
今回私は「横一列に人を並べ、動作を入れ替える」ことをしました。
どんなイメージにあなたの脳が反応するかは、人それぞれです。
ただひとつ言えることは「自分が他人を評価しない」これを繰り返し繰り返し行っていくと、他人の目が気にならなくなってきます。
評価を気にせず、やりたいことに没頭することができるようになってきます。
恋愛でも、相手や世間の目よりも、本当に自分や2人が望むものを大切にできるようになってきます。
良い影響しかないことは、あなたも分かるでしょう。
イメージングを使い、評価を手放してみてください。
私は、評価人間だったので、1年くらいかかりました。
でも早い人は、3か月くらいで効果を実感できるでしょう。
今の私は「あ、今評価してるな」と思う度にそれを手放す思考をわざと行い、その思考を自分の一部にしていこうと思っています。
今既に一部になりかけているので、考えずともその思考の動きになるまで。
無意識に落とし込む作業をしています。
そうやって、評価を手放し続けていこうと思っている最中です^^。
あなたも、評価を手放すスキルをぜひ試してみてください。
きっと景色が変わるはずです。
次回予告
次回は「告白したら保留にされた。どうしたらいい?」の最終回。
相談者さんのこの質問2つ↓に答えながら、
- 再度、誘いのメッセージを送るべきでしょうか?
- 今まで単なる優しい人で終わることが多かったのですが、今回も同様な結果でしょうか?
「単なる優しい人で終わる」現象を掘り下げてみたいと思います。