「他人の目」を振り切る勇気

本コラムの内容

「他人の目」という代物が、私に与えた良い影響と悪い影響

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他人の目が気になり過ぎて、動けない人

他人の目。あなたは「他人の目」を気にしたことがあるでしょうか?この「他人の目」という代物。これは、意図的に気に「する」こともあれば、否が応にも気にして「しまう」という強制力のあるような、人を支配し動かす兵器と化すこともある。そんな風に思いませんか?

私自身は、ずっとずっと「他人の目」という兵器の奴隷でした。人の目が気になってしかたなかった。おそらく10年ほど、いやそれ以上でしょう。一番他人の目が気なっていた時期は、営業時代です。セミナー営業、飛び込み営業、電話営業などを行っていたあの頃。よく社長に言われたものです。「人は、外見だ」と。「内面は外見にモロに出る」「他人は、結局外見であなたを判断するものだ」と。この一見真っ当とも思えるロジックに妙に納得した私は、いつしか自分の外見を一般大衆(雑誌やメディアなど)が推奨する基準に合わせるようになりました。

いわゆる大衆受けのいい清潔感のある外見というのでしょうか。コレを始めてから、他の要因もあいまって、売上がぐんぐん上がるようになったのです。その結果、私は「他人の目」をより意識するようになっていったのです。

「ある程度いい服を着なければ」

「みすぼらしい格好はできない」

などなど、あげればきりがありません。今から思うと、「舐められたくない」「一目置かれる外見を保たなければ」。舐められる、一目置かれない状態から外れたとき、自分は酷い目にあう。自分の目的が達成されない…という、不安や恐れから、他人の目を必要以上に気にするようになっていたのです。

「よく見られたい」の奥には「悪く思われたくない」という強い想いがあり、その奥には「悪く思われた場合、売上が立たない」があり、その奥には「売り上げが立たない場合、上司に非難される」があり、その奥には「上司に非難された場合、居場所がなくなる」があったように思います。私にとって「他人の目」を意識することは「居場所の確保」に繋がっていたのです。だから、それをしないという選択は、ありえなかった。

他人の目を気にすることで、私は売上を伸ばし、居場所が確保できました。周りにもチヤホヤされ、友人にも褒められましたし、妙にモテているような…そんな気分を味わいました。でも実際のところ、こころと心でつながる。そんな深い関係になった人は、多くはなかったですし、当時の友人で今もつながっている人は、片手にも満たないのです。3本の指があれば足りてしまう。

売り上げ達成。という結果が出ていたのに、なぜか、私のこころは満たされているようで、満たされていませんでした。無理をしている感覚が、ずっとどこかにあったのです。でも「人が離れていくこと」が嫌だったのでしょう。「居場所がなくなること」を恐れていたのでしょう。この違和感を見て見ぬふりしていたのです。その結果、私はどんどん病んでいったのです。病む要因のひとつだったことには、違いありません。

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この記事を書いた人

恋愛ハウツー発信に2008年から携わり代表を務めた後、2016年に独立。執筆活動15年目。現在は、さまざまなプロフェッショナルとタッグを組み「人」を題材としたコラム執筆、コンテンツ制作、サービス運営や販促、地域活動に携わっている。自身を「伝書バト」と表現しており、生きた情報、素晴らしいサービスやクリエイションを伝え広める役割を担っている。LGBTQ+、ノンバイナリー。

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